美術館訪問記-72 ピカソの生家

戻る

(* 長野一隆氏メールより。画像クリックで拡大表示されます。)

画壇の革命児と言えば、誰しもが思い浮かべるのは スペインの生んだ天才、ピカソ(1881-1973)かもしれません。 今日は「ピカソの生家」について書きましょう。

添付1:ピカソの生家外観

添付2:ピカソの生家に展示されていた街角の鳩の絵、ピカソの父作

添付3:メルセー広場のピカソの銅像

彼の生家はスペインの南部、 現在は世界的なリゾート地になっているマラガにあります。 アルハンブラ宮殿で有名なグラナダから少し南西に下った所にあり、 コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)の中心都市になっています。

マラガという名前に初めて接したのはイタリアを旅した時でした。 イタリアではジェラート・アイスクリームが名物ということで 妻と娘2人の女ばかりの家族では、夏の旅では何かというとジェラートになります。

辛党の私として付き合えるのは唯一ラム酒に漬けた干葡萄の入ったラム・レーズン。 しかしイタリアの地方のジェラート店には「ラム・レーズン」はありません。 かの地では替わりに「マラガ」がありました。

スペインのマラガは酒精強化ワインのマラガ酒の産地。 そのマラガ酒に漬けたレーズン入りなのが、ジェラートのマラガなのでした。

フェニキア人が築いたマラガで、ローマ時代には円形劇場があったという、 メルセー広場の角の5階建ての小奇麗なマンションの一角がピカソ誕生の家で、 今は美術館になっています。

1階は売店と展示場で私達が訪れた2004年には 51点のピカソのリトグラフを展示していました。

壁にピカソの写真が飾ってある螺旋階段を使って2階に上がると、 ピカソの幼年時代や両親、家族の写真を展示した部屋、 画家で美術教師だった父親のアトリエを再現した部屋があり、 父親の描いた風景画がイーゼル・ボードにかかっていました。

最初に口にした言葉が「ラピス(鉛筆)」を与えよという意味の 「ピス、ピス」だったという、ピカソに7歳の時から本格的に素描と油彩を教えた 父親は、13歳になった息子が鳩を描くのを見て、その腕前に脱帽し、 画家は諦め教師と学芸員のキャリアを進むことを決意したといいますが、 イーゼルに架かっていた絵は路上に群れる鳩の絵でした。

ちなみにメルセー広場には昔から鳩が群れていたらしく、 ピカソは生涯鳩が大好きで、67歳の時に授かった最愛の娘にも スペイン語の鳩を意味する、パロマと名づけています。

3階はピカソの生涯を辿る様々な資料を揃えた図書館になっているそうですが、 一般観光客の入場できるのは2階まで。 内部は近代的な造りと装飾でピカソが生まれた1881年頃の様相は 偲ぶべくもありません。 メルセー広場の一隅にはベンチに腰掛けるピカソの銅像がありました。

添付4:ピカソ、1948年の誕生日


(*ピカソの代表作「アヴィニヨンの娘達」1907 ニューヨーク近代美術館蔵 は著作権上の理由により割愛しました。管理人)

美術館訪問記 No.73 はこちら

戻る